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手漉き和紙に辿りつくまで・・・その二

義父との別れは突然でした。義父は微熱と息苦しさを訴えて入院したものの、病名が分からず、治療方法も見つからないまま、その数ヶ月後に静かに息を引き取りました。

享年61歳でした。義父は重要文化財の修復用の和紙を製作する技術保持者として文化庁より認定を受け、色々な文化財修復に携わっていました。鎌倉時代の藤原家定の日記【明月記】は義父の和紙を使って修復したと聞いています。義父が職人一筋で築いてきたこの工房を、義父亡き後存続させるのは無理だと家族中は思っていましたが、義母は「お父さんの後を私が継ぐ。」と頑として工房を続けると言い張るので、夫が休日などに作業を手伝うことで、しばらく様子を見ることになりました。この時もまだ私は自分が和紙に携わることになるとは、全く思ってもなかったのです。